関ヶ原の戦い直前、石田三成側は
大阪城下の大名屋敷に居住している
諸大名の妻子を本丸で人質にしようとし
まずは三成と折り合いが悪かった
細川忠興の妻、ガラシャに目をつけます
忠興に「何かある時は恥なきように振舞え」
と出陣前夜に言われていたガラシャは
宮津に落ち延びる事を断り死を選びます
石田三成側は、ガラシャの死によって
人質をとる事をやめたと云いますが
天守閣に集められていた室が
九月に開放されたと聞きますので
ガラシャの死の影響は
「闇雲に人質を取るのを自重させた」
というのが正しいようです
『細川家記』ではガラシャの死を
「御義死」と表現しています
また彼女の死はオペラになり
他国の姫君にも共感されたようです
ガラシャは禅宗の寺に葬られましたが
死の翌年(慶長六年)
忠興は教会でガラシャの葬儀をしています
4つの文明が戦う世界史系ブラゲ
浅井三姉妹など時事ネタが登場