2011年02月17日

【戦国時代】細川ガラシャの御義死

関ヶ原の戦い直前、石田三成側は
大阪城下の大名屋敷に居住している
諸大名の妻子を本丸で人質にしようとし
まずは三成と折り合いが悪かった
細川忠興の妻、ガラシャに目をつけます

忠興に「何かある時は恥なきように振舞え」
と出陣前夜に言われていたガラシャは
宮津に落ち延びる事を断り死を選びます

石田三成側は、ガラシャの死によって
人質をとる事をやめたと云いますが
天守閣に集められていた室が
九月に開放されたと聞きますので
ガラシャの死の影響は
「闇雲に人質を取るのを自重させた」
というのが正しいようです

『細川家記』ではガラシャの死を
「御義死」と表現しています
また彼女の死はオペラになり
他国の姫君にも共感されたようです

ガラシャは禅宗の寺に葬られましたが
死の翌年(慶長六年)
忠興は教会でガラシャの葬儀をしています

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戦国IXA(イクサ)
【戦国IXA】細川ガラシャ【特】.jpg

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